| 本紙は、繰り返し高松市長への取材を申し込んだが、未だにそれが実現しない。創刊以来、四国タイムズは市長室に入ったことがないのである。
 
 暴力団若林組長や右翼の小島会長が気軽に高松市長室に入れるのに、なぜ、本紙川上については、取材拒否なのか。
 今回その謎解きに挑戦する。
 話は、井竿氏が脇市長の秘書課長時代に遡る。
 本紙川上が、当時武道場を運営していた時、脇市長に面会を申し込んだ時に対応したのが井竿秘書課長であった。
 その時もやはり市長との面会はダメ。そばにいた鎌田助役に理由を聞くと、
 「川上さん、あんたは市長から右翼と見られてるから、会わないのでしょう」…絶句。
 
 
 鎌田・廣瀬助役を辞任に追い込む
 
 本紙が鎌田助役を追及する切っ掛けとなったのは、たわいもないことからであった。
 
 
											
												|  | それは、脇高松市長が、 当時、本紙川上の面会を拒否する理由が「右翼と見られている」から会わないというのであれば、右翼でないことを知っている鎌田助役が、脇市長にそれを説明するべきではないかと考えたからである。
 
 |  四国タイムズ創刊号に続けてだした、平成四年二月号の本紙。
 
 
											
												|  | 「幹部の不評高まる 市政に真に役立つ人を」
 市長に次ぐ市政の重要なポストに助役がある。
 市政がうまくいくか、どうかは助役の手腕と人格に左右される場合が多い。
 高松市の場合は第一助役が鎌田忠氏、第二助役は矢野輝男氏
 
 。第一助役の鎌田氏は、助役として古くなるにつれて、市役所内外からよからぬ風評が高まってきた。
 
 |   これを重くみた本紙は、鎌田助役を追跡、調査し、その実態にメスを入れる。その結果、不正とも受け取れる事実と無軌道とも思える行動を突き止めることができた。
 まず、出入り業者に癒着でないかとカンぐりたくなるほど以上に肩入れしていることが分かった。高松市鬼無町にY園という造園業者がある。
 中略(市発注工事の元請け業者や癒着造園会社に、鎌田助役の自宅新築工事を請け負わせていた記事)
 次に、鎌田氏の助役らしからぬ行動について、ちょっとふれてみよう。
 鎌田助役は、公用車を交通ルールに反して自宅横に付けさせて交通の妨げをする。運転手も困っているのであるまいか。また、車の窓から鼻をかんだ紙をポイと路上へ投げ捨てたりする。
 また、この人は、脇氏が初めて高松市長に当選した時の選挙において上司であった広瀬実候補者(広瀬氏は助役、鎌田氏は建設部長)に応援すると約束しておきながら、裏切って脇氏へ回ったといわれている。
 
 この記事は、その後議会でも取り上げられ、鎌田忠助役は任期満了前に辞任した。本紙川上は、脇市長や高松市幹部らの前で、鎌田氏の涙ながらの辞任挨拶に一瞬立ち会ったことがある。
 次に、広瀬年久助役が辞任を決意するに至った、
 平成十六年九月号の本紙。
 
											
												|  | 「増田市長の助役選択は、自身の今後も占う 高松市助役のポスト、商品券一万円の値打」
 
 平成八年、高松市議会が助役に広瀬年久氏を承認したのを受けて、広瀬氏が一万円の商品券を全市議会議員に配った…。
 こんなお粗末な廣瀬助役を九月議会で再任するとなれば、平成八年の商品券一万円が買収工作であったことを裏付けるではないか。
 
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    助役の権力を悪用した身内の採用 
 
 平成六年一月号の本紙。
 「脇高松市長、収賄の疑いか 陳情実現にもカネ 不明朗な人事採用も公平に」
  脇高松市長をめぐる疑惑のうち、不正人事と思われるものについて調べてみた。
  まず、市長夫人の親類に当たる男性が高松市総合福祉会館につとめていた。この人は公開試験によって採用されたのではなく、市長による縁故採用らしい。
 
											
												|  | また、脇市長の腹心といわれる井竿収入役の子供は三人とも市に就職。 
 一人は市共済組合、二人は昨年開業した高松テルサである。
 特にテルサに勤める子供は長期間、予備校に在籍していたようだ。
 
 高松市の人事は広く門戸を開放し、競争試験によって優秀な人材を採用すべきであるのに、中小企業にみられるような縁故によって採用するのはいかがなものだろうか。
 
  この記事は、十一年前に掲載した内容である。
 井竿助役が、本紙に対して取材拒否という徹底抗戦を挑むのも、ある意味で解らないこともないような気もする。 
 しかし、公的な役職に就けば、あくまで報道の洗礼を受けなければならないことも、現実である。
 
 この三人の子供については高松市の外郭団体ではあるが、直接、井竿助役の職務権限が及んでないと言い逃れをすることは間違いないであろう。
 しかし、このテルサ不正採用疑惑で息子の井竿真司氏のことを調べるうちに、新たに首をかしげるようなことが分かった。
 |   本紙が辞任に追い込んだはずの廣瀬年久前助役が、テルサ・財団法人高松勤労者総合福祉振興協会の理事長に座っているではないか。着任は昨年の平成十六年六月一日であるから、助役を辞任するわずか数カ月前でないか。
 あつかましいのにも程がある。市民が不況に喘いで、就職難で困り果てているとき、井竿助役は自らの延命を図るため、要所要所には手厚く就職の面倒をみ、取り巻きの側近には、盤石な体制を敷いているようだ。
 たとえは悪いが、イラクのサダム・フセインが、生まれ故郷ティクリットの人達には特別な優遇をして、外的からの攻撃に人間の楯として悪用したのと似ているともとれる。
 もっともサダム・フセインとの違いは、ある意味、革新の宿敵であるはずの、自民党や右翼とも手を結び、30年以上も生き延びてきた事であるまいか。
 また、高松市の財政難に赤字で採算のとれないテルサを買い取ったことを考えると、息子の失業対策でテルサを高松市が買い取ったという見方もできる。
 ここで、最後に井竿助役の職務権限が及ぶ決定的な不正採用を紹介する。
 井竿辰夫助役は、財団法人高松市駐車場公社の理事長も兼務している。
 平成十五年四月、この財団の雇用に、縁故で実弟の市原数義氏を不正に採用した。
 不況が続く中、洋菓子店ボルドに勤めていた実弟がリストラにあったための救済処置。
 
 
 役人市長から、民間市長を取り戻そう
 
 
 
											
												|  | 昭和四十六年に始まった脇市政までは、国東・三宅市長という自らのビジョンとポリシーを持って行政に携わっていた人物であったから、自民党市会議員団にとって扱いにくい市長であったであろうことは想像がつく。 
 そこに目を付けたのが井竿氏で、脇市政の議会工作のため自民党議員の言い分を満たしてやることによって延命を図るという姑息な悪知恵を編み出したようである。
 
 |   この手口は、右翼対策や、同和、暴力団、あげくの果てに、増田市長の命取りとなるであろう漁業補償の裁量権逸脱事件にまで及ぶことになったようだ。
 また、井竿助役との会談中、
 「私はどんな人とも話をする、日本皇民党の大島総裁とも、夜中の二時まで、ほかほか弁当を食べながらやったことがある」
 
 とあたかも本紙を牽制するかのように話していたことを思い出した。
 
 組合の元委員長が、右翼をダシに本紙川上を脅そうとは…。
 
 要は、俺には右翼の小島会長や、大島総裁が後ろに付いているからあんたは怖くないよ、と言いたいのであろう。
 とにかく、役人感覚市長から、民間感覚市長に切り替えることが、高松市民にとって急務であることは間違いない。
 
 
 
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